2007.11.1HRY
歴史の街・三木と加西フラワーセンターを訪ねる
■日時:2007.10.25(木) くもりのち晴
■場所:三木(三木城址・金物資料館・森林公園)
     加西フラワセンター
■交通:県民バス
■参加:MNC24名
行程
宝塚駅8:30→三木城址(9:30〜10:00)→金物資料館(10:00〜10:45)→三木山森林公園(10:50〜12:00)→道の駅みき(12:10〜12:40)→加西フラワセンタ(13:30〜16:00)→宝塚駅16:50
秋の一日、県民バスを利用して播磨地方は三木と加西フラワーセンターを巡る。三木といえば歴史と金物の町。車中、地元出身の坂本さんから三木の歴史についてのガイドがあり、午後からの加西フラワーセンターでは、お兄様から園芸についてのご講話をいただきました。今日はまさに坂本デーでした。

三木城址から市内の展望、中央美嚢川

「三木城址」 9:30〜10:00
戦国時代、秀吉による三木城攻めは凄惨を極め、天正8年(1580年)城主別所長治は兵士や領民の命と引き換えに一族とともに自刃したという歴史を秘める。城塀に囲まれた本丸跡に「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」と記された辞世の歌碑がある。

第5代城主別所長治公

天守にある辞世の句碑

遺跡発掘調査・・・堀の跡ではないかと調査員
城址にはクヌギやカヤの巨木が。カヤの木は最高級の碁盤に、その実は煎って食べると森の香りがします。

城址公園

イスノキの虫えいを見つける
「金物資料館」 10:00〜10:45
「♪ しばしもやすまずつちうつひびき・・・」と歌われた唱歌「村のかじや」は教科書から消えてしまったが、その技術と伝統は今も息づいている。
三木金物の原点は大陸から渡来した韓鍛冶の技術によるものという。その後の仏教伝来による寺院建設、戦国の世における別所氏築城と地子免除、三木合戦後の秀吉の保護政策、徳川時代に入っても免租地と、その政策は変わらず、金物の特産地としての地歩を固めた。
金物産業も時代の要請につれて、伝統的手工業から機械による生産方法に進展し、古来から伝わる製法や金物製品等は散逸の恐れが出てきた。これらの貴重な資料を収集・保存するため、昭和51年、三木城址の一角に市立金物資料館が設立された。隣には鍛冶・製鋼・鋳物の3祖神を祀る金物神社があり、金物業者共同の守護神としている。

資料館前庭に設置されている唱歌「村のかじや」記念碑

森本館長の案内

たたら、ふいごなど古来の鍛冶道具が並ぶ

製品展示
資料館に展示している製品の金へん文字:「鋸、鑿、鉋、鏝、鋏、錐、鎌、鍬、鑢、鎚、鉈、釘、鏨、釿、銑、鋼、鉞、鋤」 いくつ読めましたか?
「三木山森林公園」 10:50〜12:00(散策・昼食)
三木市の中心部にある県立三木山森林公園は、広さ80万平方メートル。四季折々の自然豊かな森で、森の大切さを素直に肌で感じてもらえるよう、散策路が整備され、クラフト館や森の文化館など文化・スポーツ施設もあります。ゴルフ場数西日本一の三木市ゆえ、ゴルフ場跡地のようにも見えます。小雨がぱらつき、園内を一周することはできませんでした。日を改めてゆっくり散策したいものです。

モミジバフウが色づく

ドングリ拾いの幼稚園児

ナラガシワの木の下で
「道の駅みき」 12:10〜12:40
お土産はなんといっても金物。11月3日から三木金物まつりが始まりますが、「道の駅みき」には金物展示館があり、地元特産の工具、刃物などを常時展示販売しています。クラフト用の小刀やナイフが人気で、今日の売り上げは我々グループだけでも○万円になったことでしょう。

2F金物展示館

肥後の守ナイフ

小刀に人気

「加西フラワーセンター」 13:30〜16:00
園内中央には豊かな水に水鳥が遊ぶ亀の倉池を配し、背に野鳥のつどう緑濃い飯盛山を取り込んだ、約46haにおよぶ全国でも有数の花の公園です。池を巡る遊歩道を歩けば、季節の花が咲き競う大花壇、南国ムードあふれる大温室、花と彫刻の道、小鳥のさえずりが聞こえるのどかな香りの森など、約4,500種類の花々が輝く。折しも菊花展が開催中でした。
今日は、センター非常勤講師で、花の相談室を担当されている坂本さんのお兄様、坂本正秀氏により「花木と宿根草の殖やし方」と題して、株分け、取り木、接木などについてのご講話をいただきました。

坂本正秀氏によるご講話「花木と宿根草の殖やし方」

風車のある風景

コスモスが一杯の花の広場

温室のベコニア

集合写真 三木金物資料館にて

写真・編集 平山

武庫ネイチャークラブ

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