UP 2007.2.3 HRY
矢 倉 海 岸

■日時:2007.1.25(木) 晴れ
■場所:矢倉海岸 阪神電車 福駅下車(大阪市西淀川区)
     地図はここ
■参加者:MNC19名、13期講座生2名
 大阪市西淀川区。淀川河口右岸と神崎川河口左岸に挟まれた三角地域は、江戸時代に京都の矢倉九右衛門により新田として干拓されたため、「矢倉海岸」と呼ばれています。阪神工業地帯の真っ只中にあり、高度成長期には、公害汚染地区として全国的に有名であったところです。
 コンクリート護岸に囲まれていたこの一帯は、1995年の阪神大震災により、ところにより2〜3mも地盤沈下しました。その後淀川河口部は復旧が進みましたが、神埼川左岸河口部は手付かずのままであったため、突然干潟が出現。底生生物・植物・昆虫・野鳥など多くの生物が戻ってきました。住民運動の成果もあって、現在、海岸には大阪市唯一の自然海岸緑地「矢倉緑地」が整備されています。しかし、ここは、大阪市終末下水処理施設建設予定地となっており、このままでは元の木阿弥になってしまいます。開発に歯止めをかけ、自然環境の回復・保全をめざして、官・学・市民一体となった取り組みが進んでいます。
 本日は、西淀自然文化協会員で、矢倉干潟保全活動に取り組んでいる村瀬さんのご案内で現地を訪れました。潮の関係で、肝心の干潟は出現しませんでしたが、カモなど多くの水辺の鳥を観察することができました。

「大野川緑陰道路」
 阪神電車 西九条線福駅から、海岸に向けて大野川緑陰道路を歩きます。大野川はかつては灌漑、治水の水路として活躍しましたが、高度経済成長の時代に次第に汚れが目立ち、その機能を失ってしまったため、1979年、自転車と歩行者専用の緑陰道に生まれ変わりました。
 全長3.8Kmの地下には下水管が通り、地上には120万本の樹木を植えて、市民の憩いの場としていますが、薬剤散布等で生態系は破壊され、虫もいないとのこと。樹木に突き刺さったままの樹名板はどうしたことでしょうか。
大野川緑陰道路を歩く
「淀川河口」
 緑陰道路から淀川右岸堤防にでる。北には伝法大橋や大阪市街の高層ビルが、南に河口と大阪湾が広がる。水辺にカモの群れが泳ぐ。河口までずっと石積み護岸が続き、テトラポッドの間にウチワサボテンが赤い実をつけている。平たい茎はステーキに、実は甘くておいしいと今西さん。自生するはずもなく、誰かが持ち込んだものでしょう。

淀川河口で

「矢倉干潟」
 川岸から高台の荒れ地に入る。フェンスに囲まれてグランドがある。この辺一帯が下水処理場建設用地なのか、市有地立入り禁止看板が立つ。フェンスの扉を開けて、反対側の神崎川左岸にでる。ここの上流約300mが、干潟となっている。今日は、上げ潮のため、海水に浸かってしまっていますが、潮目でそれと分かります。岸辺には漂着した廃棄物が散乱している。ビニール袋を忘れてきたと村瀬さんが悔やむ。

神崎川河口に広がる干潟(潮目の部分)
「矢倉緑地」
 干潟から海岸に沿って芝生広場に回り込む。淀川と神崎川に挟まれた三角地帯が矢倉緑地公園で、芝生広場に野鳥観察小屋とあずま屋が、周囲に3つの潮だまりが作られています。潮だまりは満潮時に海水に浸かり、干潮時に海辺の生き物を観察できる構造になっています。

神崎川河口と阪神高速湾岸線(手前に干潟)

芝生広場で野鳥観察

海岸から見た潮だまりと芝生広場

矢倉緑地入口

淀川河口側の潮だまり

矢倉緑地と潮だまりの構造

芝生広場で全員集合
 矢倉海岸で観察した野鳥は、カイツブリ、オナガガモ、ヒドリガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、ユリカモメ、カワウ、カワラヒワ、ヒヨドリ、モズ、メジロ、ジョウビタキ・・・・。帰りは、防潮堤に囲まれたゼロメートル地帯の住宅地を阪神出来島駅へ歩く。村瀬さん、ありがとうございました。(了)
写真・編集 平山
武庫ネイチャークラブ

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