UP 2015.10.31HRY
MNC 2015年10月 例会
六甲山上散策

日 時:27年10月29日(木)
場 所:六甲山上(自然保護センターを中心に)
集 合:六甲ケーブル山上駅 10:30
参加者:32名     天 候:晴れ

コース:展望台〜自然保護センター〜六甲山ホテルコース〜記念碑台(昼食)〜神戸ゴルフクラブ〜油コブシ〜(高羽道)〜渦森台 <徒歩約8.5km>

 9月例会は雨で中止となったが、今月は好天に恵まれ秋の一日を六甲山のハイキングで楽しんだ。我々クラブ員にとって六甲山は慣れ親しんだ山であるが、近代日本のゴルフと登山発祥の地としての歴史を持つ山でもある。また明治初期のはげ山から緑の修復工事が始まって110余年、復興途上の山でもある。

 午前は「六甲山自然案内人の会」のメンバーでもある坪田さんに自然観察をガイド頂く。
スタ−トは六甲ケーブル山上駅の隣にある展望台から南側を見て断層の話、六甲の成り立ち、下に回って展望台を形成する石積みに咲くセンボンヤリの秋の閉鎖花が綿毛になっているのを観察。自動車道を避けて別荘地を抜け記念碑台に向かう。自然保護センターでは各種資料を準備頂き六甲山ホテルコースを案内頂く。フタリシズカ、ヤマナシ、エゴノキ、バイカツツジ、さらにタンナサワフタギの名前の由来、樹皮が同じのツツジ科のネジキとアセビの違い等々、数多くの植物の解説を頂き、記念碑台に戻り遅めの昼食を取る。

 午後は日本最初のゴルフ場:神戸ゴルフクラブを経て展望台下の油コブシ分岐点に向かったが、ドライブウエイに出る手前で道が水没、偶然逆から登ってきたメンバーの知人の情報で回り道をするというアクシデントもあったが、油コブシへのルートにある「六甲山系グリーンベルト整備事業」を行っている団体:新井組、神戸製鋼、大和ハウス、アシックス、シニア自然大学校環境科の活動現場を見学して渦が森団地のある渦森台に4時前に到着。途中滑りやすい坂道もあったが、全員無事に歩き終えることが出来た。

<展望台から南側を見て・・・>

<ガイドする坪田さん>

<加古川に注ぐ小川の橋を渡る>

<六甲グリーンベルト整備活動の説明>

<環境の森の見学>

<別荘地の中に咲くタマアジサイ>

<センボンヤリの綿毛> 

<ゲンノショウコの冬支度>

<キクバヤマボクチ>

<果実が黒く熟したチゴユリ>

<10月例会コース図>

MEMO:六甲山

六甲山は近代日本のゴルフと登山発祥の地!
<ゴルフ編>
神戸開港は慶応3年(1867)。渡来した外国人はイギリス人が最も多かった六甲山は市街地に近く、夏場の気温が低いので避暑地とし安息と社交の場にする。
⇒ 狩猟や登山などのスポーツ、娯楽に活用するようになる。
  A.H.グルーム(英)は明治28年、山上の西側三国池のほとりに別荘を建てる(グルームは貿易商・オリエンタルホテルの経営にも携わる。在日50年 T7死去)
  別荘に来たイギリス人の仲間が「ゴルフを…」となり、最初は4ホール続いて9ホールのコース作成明治36年(1903)年わが国最初のゴルフ場:神戸ゴルフ倶楽部が創立。
  (当初のメンバー131人)。
  日本人は川崎造船の松方幸次郎、川崎芳太郎。日本最初のゴルファーは、日本人で最初に別荘を持った小倉庄太郎と妹の末子 M38年)
 冬季はコースを閉めるので、年中ゴルフをしたいとの要求でW.J.ロビンソン(英)らは東灘区横屋の土地に6ホールの横屋ゴルフ・アソシエーションを開設:明治37年(1904)。
しかしここは狭いので広い場所を求めていたところ鳴尾の競馬場が廃止となりこの跡地に移転、鳴尾ゴルフアソシエーションとして9ホールで大正3年に開場。
大正9年(1920)年に鳴尾ゴルフ倶楽部に改編。大正13年(1924)年には18ホールになるも昭和2年(1927)年の世界金融恐慌で9ホールに縮小。
鳴尾ゴルフ倶楽部は川西(当時:東谷村大字畦野)にも猪名川コースとして昭和5年(1930)開場。鳴尾は昭和14年(1939)年閉場し現在の川西市に統合。
(鳴尾浜のゴルフ場跡は、軍事産業拡大の為川西航空機の工場及び飛行場となる)
日本人プロゴルファーの草分け宮本留吉・中上数一(神戸GC)、福井覚次郎(Y)
 <登山編>
 上高地の「ウェストン碑」を見られた方は多いと思いますが、ウォルター・ウェストンは明治21年、神戸の英国教会の牧師として来日。中部山岳地帯を歩き、著書『日本アルプスの登山と探検』で山岳の素晴らしさを世界に紹介⇒これが日本山岳会の結成につながる(M38)。
明治43年神戸草鞋会が結成 ⇒ 神戸徒歩会(大正2年)に改編、メンバーの藤木九三(芦屋ロックガーデンにレリーフがある)はロッククライミングクラブ(RCC)創設(大正13年)。日本のロッククライミングの草分けで、このクラブは戦前に解散しているが、昭和33年(1958)第2次ロッククライミングクラブ(RCCU)が結成され先鋭的な登山家を輩出。
好日山荘、神戸で開業(T13)。
「六甲山系グリーンベルト整備事業」とは…
  かって豊かな照葉樹林で覆われた六甲山系は、江戸時代以降人口の増加と共に樹木は燃料や炭の原料として、また建築材として伐採に次ぐ伐採で明治初年にははげ山同然に
変容したことは周知のとおりです。国は明治中期から修復のため山を段々に切り植栽を始めてから100年以上経過しているが、回復には至っておらずその途上。
昭和13年の阪神大水害、昭和42年の大水害、記憶に新しい平成7年の阪神・淡路大震災では多くの人命や財産に大きな被害が発生。六甲山からこの様な災害を防止するための活動が、国(国交省)・兵庫県・神戸市それぞれに取り組んでいる。この活動が「六甲山系グリーンベルト整備事業」。
国交省・六甲砂防事務所の取り組みの中に市民参画型の里山整備活動「みんなの森づくり」があり、今回いくつかの事例を見学した。
・整備事業の基本方針
 六甲山を一連の樹林帯(グリーンベルト)として保全・育成する事により、安全で自然豊かな都市空間を創出する。
・整備区域
 六甲山系の南側斜面で、神戸市須磨区の鉢伏山から宝塚市岩倉山の区間
・整備目標
 土砂災害の防止
 都市のスプロール化防止
 良好な都市環境、風致景観、生態系及び種の多様性の保全及び育成
 健全なレクレーションの場の提供
市民参画型の里山整備「みんなの森づくり」は、それぞれが選んだ“六甲山系グリーンベルト(GB)協働活動地”として登録。「森の世話人」として現在50近い団体が活動中。
活動目標:様々な高さの木や下草がバランスよく生え、いろいろな年齢・樹種により構成される森を目指す。例えばニセアカシア林は伐採し落葉広葉樹が育つように林相転換、ネザサが繁茂する所では伐採しコナラ等の苗木を植樹する樹林整備等を行う。
今回、渦が森地区の新井組〜神戸製鋼〜大和ハウス〜アシックス労働組合〜シニア自然大学環境科の事例を見学した。
 参考:六甲砂防事務所の「みんなの森づくり」は下記アドレスをクリックしてご覧ください。
     http://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/business/gb/greenbelt-bus.php

         資料:『阪神間モダニズム』淡交社
             『これからの六甲山を考える』六甲砂防事務所資料
              鳴尾ゴルフ倶楽部等はインターネットを利用

文/飯盛、写真/飯盛・平山、編集/平山
武庫ネイチャークラブ

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