UP 2012.11.26 HRY
MNC11月例会
多田銀銅山を訪ねる
◇日時:2012.11.22(木) 曇りのち晴
     10:00〜15:30
◇集合:川西能勢口駅 9:40
◇行先:多田銀銅山・悠久の館
◇参加者:MNC 28人
行程:
川西能勢口駅1001→(阪急バス)→白金2丁目1035〜悠久の館(1055〜昼〜1130)〜銀銅山観察(1130〜1420)〜白金2丁目1450→(阪急バス)→川西能勢口駅1530
案内図はこちら
雨が心配されるどんよりした空模様で、集合時には薄寒いスタートでした。午後には晴れ間も見える良い天候となり、ガイドさんのご案内で錦秋の多田銀銅山を満喫しました。
多田銀銅山は川西、宝塚、池田、箕面の各市と豊能、能勢、稲野の各町の東西20km、南北25kmに亘る広大な鉱区の集合体でした。古くは東大寺大仏建立(742年)に銅を供給したといわれています。源満仲が開き、豊臣〜徳川にかけては重要な金蔵でした。

多田銀銅山 青木間歩

白金二丁目バス停から悠久の館へ歩く。到着してすぐに昼食。早過ぎる昼食で食欲はもう少しだったが、秋の空気を満喫しながら美味しく戴きました。11:30から14:20まで、3名のガイドの皆さんの案内で3班に別れて銀山を観察しました。

3名のガイドさんの案内で(悠久の館)
悠久の館
銀銅山の古文書など貴重な資料を展示してある。鉱石、豊臣秀吉の朱印状、採掘工具・ハシゴ等の採掘装置が展示されていました(館内撮影禁止)。
代官所跡:天領で代官以下多くの役人が従事しており、最盛期には全関係者は3000家、1万5千人とも言われています。

代官所跡

代官所跡から悠久の館を見る
間道:宝塚大原野まで一里、以外に近い道のりで歩いてみたいものです。

間道道標 左西谷村大原野1里

歴史街道
代官所の門:代官所にあった門を移築したという言い伝えがあります。馬に乗ったまま通ったとか。

代官所の門
平炉跡:採掘した鉱石を砕いて、中の金属を簡単に取り出すための炉があった、近くに落ちていた石(?)は異常に重く穴が多数開いていました。

平炉跡
甘露寺:三重県伊勢に当寺の勧進寺があるそうです。
金山彦神社:神仏混合で安全を祈願する社でした。春にはハクサンハタザオ(アブラナ科の多年草、重金属を蓄積する超蓄積植物)が咲き乱れるとのことでした、タカノツメの黄葉が続きます。

山神宮と書かれた鳥居

山門 奥に本殿
青木間歩:唯一坑道に入れる間歩、50m先の坑道の奥にはには脈状鉱床があり、掘って持ち帰らないでとの言葉が残念ながら印象的でした、周辺に植えられた多くのアオキは火傷の手当に使われたそうです。岩肌にたくさん見られるシダはヘビノネゴザ(蛇の御座)で別名:金山草とも言われ、金、銀、銅、鉛などの重金属を含む鉱山地帯によく繁茂していることが知られており、鉱床を探す指標植物だそうです。

青木間歩入口

旧坑 手掘り跡

鉱床を探す指標植物 ヘビノネゴザ
大露頭:露天掘りをした跡地、赤茶けている山が無残に崩れかけていました。

大露頭
台所間歩:大阪城の台所を潤す程の銀や銅を産出したことから名前が付いたといわれる。

台所

間歩
瓢箪間歩:秀吉の馬印千成瓢箪を掲げることを許された、秀吉の財政を支えたと言われる程の多くの銀銅を産出した間歩。

瓢箪間歩
14:20全班集合してガイドの皆さんにご挨拶、集合写真を撮り帰途に、白金2丁目まで歩き、川西能勢口で15:30解散しました。

悠久の館で
文/松田輝、写真/平山、編集/平山
企画:北垣、松田輝

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