MNC11月例会
2011.12.8 HRY
蓬莱峡の自然を歩く

行 事 報 告 書(MNC11月例会)

報告者:平山元哉

 行 事 名 ハイキング:蓬莱峡の自然を歩く
実施日時 2011年11月28日(月曜日)  9時〜 14時  天候:くもり
行先・場所 蓬莱峡・座頭谷〜船坂集落
主旨 1.蓬莱峡の地形・地質の観察
2.六甲山の砂防ダムを考える(防災)
参加人員 MNC 25名   担当:北垣二夫、平山元哉(ガイド)
経過・状況
 (要約)

1.知るべ岩〜座頭谷を歩く
 蓬莱峡は花崗岩の破砕帯が風化浸食されて、大剣、小剣などむき出しになった花崗岩の奇岩がある景勝地。活断層有馬高槻構造線が走り、太多田川は有馬層群と六甲花崗岩層を分ける。かつて蓬莱峡温泉(冷泉・炭酸泉)があり、バンガローや保養施設があった。座頭谷は有馬に湯治に向った京都の座頭が谷に迷い込み行き倒れになったことに由来。知るべ岩とは後世の人がこれを哀れみ、有馬街道の分岐点に右ありま道と刻んだ岩をおいた。秀吉の筆になるという。その名残の碑が太多田川と座頭谷川の分岐に建つ。

2.砂防堰堤の歴史を学ぶ
 風化した花崗岩がまさ化して、山崩れを起し、谷を埋め、雨で土石流を引き起こす。斜面の侵食・崩壊と土砂の流出を防ぐために植林や堰堤工事など様々な対策が継続して行われた。大多田川や逆瀬川流域の砂防工事は我が国の先駆となったもので、明治28年から始まり、この座頭谷の砂防ダムは昭和7年に完工した。昭和13年の阪神大洪水の被害を防いだ。鎧積み堰堤は昭和初期の技術であり、鎧のようなふくらみを作り落水が直接目地に当たらない工夫がなされている。自然と調和。土木遺産。

3.船坂集落を見学
 鎌倉時代に有馬温泉を再興した仁西上人(熊野)がこの地で湯船を作ったこと、坂道が多いことからと云われる。標高400mの寒冷高地で寒天作りも今はなし。明治5年開校の船坂小学校、昨年138年の歴史の幕を閉じる。二宮金次郎像に昔を偲ぶ。歴史的建造物(茅葺家屋など)を見学。「ビエンナーレ船坂」モダンアート展で村おこし。

まとめ・感想

 いつも緑豊かな自然ばかりを観察していますが、今日はその対極にある荒涼とした蓬莱峡の自然を観察しました。身近なところにこんな地獄のような風景が展開していることに、自然の驚異を感じられたと思います。 六甲には大小1000以上の砂防堰堤があるといわれていますが、阪神間に住む私たちの生命や財産を守るための治山がいかに大変かを実感しました。岩石だらけの河原ですが、防災に強いヤシャブシが自生していました。 健脚向きとしたため10名以上がドタキャンとなってしまいましたが、十分余裕のあるハイキングだったことを反省

******* 本文 *******

<知るべ岩

 宝塚駅から阪急バスで11分、知るべ岩バス停で下車。すこし先のガードレールのすき間を河原に降りると知るべ岩の石碑がある。「右ありま道」は秀吉の筆になるものといわれ、一見の価値ある道標だが、急斜面をロープの助けを借りて下りなければならないので今回はパスする。太多田川(おたたがわ)は活断層有馬ー高槻構造線が走り、北側は有馬層群、南側は六甲花崗岩である。
 芸術的な曲線を描く堰堤通称曲がり橋を渡る。太多田川から分かれた座頭谷川にかかる自然石の堰堤は、周囲の景観とマッチして美しい。下流の立派な架橋は尼崎信用金庫蓬莱峡山荘へ行くためのもの。このあたり、昭和15(1940)年〜25(1950)年蓬莱峡温泉(冷泉・炭酸泉)があったが、その名残だろうか。

知るべ岩 曲がり橋(万里の長城)

スタート前ミーティング

曲がり橋を渡る

座頭谷川に続く鎧積み堰堤

座頭谷を歩く

 座頭谷川の右岸を遡ってすぐの堰堤脇に、兵庫県砂防事業発祥の地の案内板が立つ。いわく、太多田川上流では武庫川への土砂流出による氾濫防止のため、明治28年から砂防工事が行われてきており、自然石を積み上げた堰堤など砂防史上有数の構造物が今なお健在である。
大谷川の流れを渡って進むと、4段の堰堤が見えてきた。3段目までは自然石や鎧積み堰堤である。鎧積み堰堤は昭和初期の技術であり、鎧のようなふくらみを作り落水が直接目地に当たらない工夫がなされている。最上段は阪神大震災後に建設されたコンクリート製であった。
 堰堤脇の急階段を登って最上段に立つと、その内側は土石流で崩れ落ちた大小の石がゴロゴロ転がる広大な河原である。上流にはまだまだ沢山の堰堤があるが、座頭谷の土砂を受け止める最後の砦のようである。道はなくなり、土砂と岩石の転がる河原を足場のいいところを拾いながら遡る。流れは僅かである。行く手に座頭谷を囲むむき出しの切り立った岩壁が迫ってくる。

座頭谷最大の4段堰堤
 
堰堤を越えると別世界が広がる
 
座頭谷の河原を歩く
 いくつもの堰堤を越えて奥に進むにつれ、土砂・落石で埋まった谷を囲むように、切り立った断崖、鋸歯状の鋭い岩峰、大剣・小剣が屹立する荒涼とした風景が展開する。100万年前の六甲変動による断層破砕と風化した花崗岩がつくる地形である。岩搭群は、花崗岩の方丈摂理の密な部分は風化が進んでマサ化し、疎な部分は風化しにくく岩として残るためにこのような奇形になるという(下図参照)。落石を避けるよう河原の真ん中に陣取り、昼飯を食べながら岩石ウォッチングを楽しむ。

岩石ウォッチングしながらランチタイム

大剣、小剣を縫って

方丈節理の発達した花崗岩

屹立する奇岩・巨岩

<人と自然の博物館 先山徹先生の資料から>

座頭谷を背景に集合写真

船坂集落にて>

 座頭谷を脱出する。、標高差約120mを20分で登りきり段丘の上に飛び出す。ロープ付の難所もあったが健脚の皆さんなんなくクリア。六甲ハニー農場に寄り道するが、今日は閉店のようだ。鐘を鳴らしても人の気配はない。ちょっと休憩させてもらい、県道を船坂集落に向けて下る。眼下の棚田の向うに、遠く北摂の山々が霞む。
 船坂は太多田川の扇状地の上に発達した人口500人余の集落で、標高約400mの高地にある。寒冷な気候を利用して寒天作りが盛んであったが今は一軒もない。立ち寄った善照寺の天水桶は、どうも寒天づくりの大釜のようであった。
 一昨年廃校となった西宮市で最も歴史のある船坂小学校を訪ねる。校庭には昔懐かしい二ノ宮金次郎像と記念碑が並ぶ。明治5年学制が布かれた年に善照寺の本堂を仮校舎として開校し、平成22年3月、138年の歴史の幕を閉じる。時計は今も時を刻んでいた。旧湯山街道に出ると茅葺屋根の民家がまだ数軒残る。一軒の屋根には大きなカラーマットがのっている。アートなのだろうか?船坂ビエンナーレ(里山の生活をバックにした現代美術展覧会)というイベントで村おこしが始まっている。

里の秋 船坂の風景

138年の歴史を閉じた船坂小学校と二宮金次郎像

西宮市唯一の茅葺住宅

宝塚レストランMで反省会15人
 健脚ぞろいの皆さんのお陰で1時間も早く予定を終える。バスを待ちきれず、県道を歩いて帰る人、コンビニでおでんをつまむ人。宝塚組は例のMレストランで反省会を催す。過酷な自然と歴史を学ぶハイキングでした。

Route Mapはこちら

文/平山、写真/北垣・平山
世話人:平山

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