UP 2011.6.16 HRY
MNC 6月例会
甲山周辺の地質・地形探訪
■ 日 時:2011年6月13日(月) 9:30〜15:15   曇のち晴
       [5月30日(月)計画、豆台風の影響で順延]
■ コース:阪急仁川駅→仁川→百合野橋→旧阪急仁川植物園→広河原→中河原(昼食)→西宮市立自然の家
       →甲山→神呪寺→野仏道→甲山森林公園→同展望台→地すべり資料館→上ヶ原用水と分水樋
       → 関西学院大学構内→関西学院大学校門前 (解散)
■ 案 内:会員 坪田義治氏
■ 参加者:17名

<野仏の道で地形を説明する坪田講師>
◆探訪記

段丘面

梅雨の中休み絶好のハイキング日和、六甲山系を源とする全長9.3kmの仁川の上流域を目指し歩く。百合野橋のたもとで両側を見通すと、それぞれ坂となり段丘へと続いている。この両側の高い部分が昔の川岸といわれ松並木が残っている。

段丘面を観察

松並木が元仁川堤防

有馬高槻構造線と大阪層群

旧仁川植物園から東北方面を望むと宝塚市街地と山麓部との境が東側に直線状に伸びていることがわかる。ここを有馬→高槻構造線が走っているそうな。眼下に広がる地層は大阪層群といわれ、主に砂と礫とからなり、その間に粘土層が挟まっている。その様を広河原行く途中斜面で見ることができた。

長尾山系から五月山山麓を走る有馬高槻構造線(仁川植物園から)

大阪層群の地層

大阪層群から甲山

甲山安山岩とチャート

「自然の家」では珍しい花崗岩と甲山安山岩がくっついた岩石が展示されている。1200万年前に花崗岩を突き破って噴火したものである。甲山の山道に入ると花崗岩に交じって黒っぽい硬い岩石(甲山安山岩)見られた。長年にわたる風化と浸食によってどんどん削りとられ、ついに地下にあったマグマの通り道あたりが現在の甲山として残ったと言われている。また、掘り込まれた登山道の両側に、黒や白や赤の小石がぎっしり詰まった大阪層群地層があった。この小石はチャート呼ばれ、およそ150万年前の川原の石と言われている。

甲山の成因についてはこちら(自然の家案内板から)


甲山安山岩(上部)と花崗岩(自然の家で)

甲山登山道のチャート(マウスをおくと拡大)

野仏の道 花崗岩の露頭

野仏のある尾根を歩いていくと大きな花崗岩の露頭しているところがあった。上部は割れているが、四角いくさび型の割れ目(矢穴)見えることから砕石しょうとしたことが伺える。また、その岩石をよく見ると粒の細かい岩石が帯状につながった半花崗岩(アプライト)が見られた。これはマグマが冷えて固まった後にマグマが貫入したもので岩脈と呼ばれ、地下につながっていることがわかる。

野仏の道

切り出された花崗岩

半花崗岩(アプライト)

甲山刻印群

ここからは西側は芦屋断層で隆起したゴロゴロ岳、北側に六甲山系の広がりが見られ、ここから見る神呪寺の眺めは素晴らしかった。 また、甲山森林公園展望台付近の高台には甲山刻印群のなかの1つがあり、肥前鍋島藩刻印の矢穴のある岩が残っている。大阪城築城の際の残骸だろうか、整形され運び出す寸前の状態の岩石もあった。まだまだいっぱい書くことがあるがこの辺で・・・。あとは自分の目で・・・。

整形され運び出す寸前の岩石(展望台近く)

鍋島藩の刻印(展望台上)
上ヶ原用水
仁川渓谷の大井滝から竹製の樋や溝を800m掘り、1653年完成した。竹製であるので破損しやすく、恒久的に使用可能なトンネル化に着手した。絶壁という悪条件の中38年の歳月をかけ、1802年上ヶ原用水が完成した。これが現在、地すべり資料館から関学の裏を通り、そのままの形で残っている。この水の分割は上ヶ原新田(110cm)、門戸(17cm)、神呪(20cm)に分配され、そのための分水樋が残っている。

大井滝から取水の上ヶ原用水

上ヶ原用水のハナショウブ(地すべり資料館前)

上ヶ原分水樋
関西学院で解散

関西学院構内のボダイジュ

甲山を借景とした関西学院の建物
◆ 探訪後記
見どころ、聞きどころ一杯の甲山周辺の地質、地形探訪でした。
夏の長時間熱心に案内頂いた坪田義治さんに厚く御礼申し上げます。我がMNCの主要フイールド甲山は植物観察、野鳥観察だけでなく、地質、地形探望にも恰好の場所であること知りました。
案内/坪田、文/坂本、写真/石井・坂本、編集/平山
例会幹事 北垣

武庫ネイチャークラブ

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