UP 2011.3.30 HRY

2010年度総会&小浜宿観察

■日時:2011.3.28(月)
■場所:総会 ぷらざこむ1(10:00〜12:15)
     例会 宝塚 小浜宿(13:00〜14:30)
■参加者:MNC 44/31名

2010年度総会

 震災被災者に対する黙とうをささげて開会。H22年度の活動を総括、H23年度の方針・運営体制を確認しました。武庫ネイチャークラブ創立来の功労者青木会長、松田副会長が退任し顧問に、新しく坂本氏が会長に就任しました。新幹事12名と共に84名と大所帯となったクラブを引いていくこととなりました。会員各位のご協力をお願いします。議事詳細は会員ページからご覧ください。
また、この場で、ぷらざこむ1の施設利用について、ぷらざこむ財団岡本理事長からお話がありました。ぷらざこむ1はボランティアのための施設ではなく、街や社会に貢献するため、また利用者によって運営されるものであるということです。心して利用しましょう。

青木会長退任ご挨拶(右:坂本新会長)

東北関東大震災犠牲者に黙とう

ぷらざこむ岡本理事長、利用者運営委員会栗山委員長

小浜宿を歩く
午前中に開催された武庫ネイチャークラブの2010年度総会後、小浜宿を散策する。寺内町・宿場町の歴史を探訪し、季節の自然を観察した。歴史的施設は月曜休館で残念でしたが、町並みや古寺に往時の面影を偲ぶことができました。大堀川沿いの桜はまだつぼみでしたが、2輪ほどほころびかけ、雪柳が芽吹いていました。
『小浜地域は、明応年間(15世紀末)に浄土真宗の毫摂寺(ごうしょうじ)が建立され、その寺内町として発展しました。その後も大阪や京都と有馬、西宮などを結ぶ交通の要衝であるところから、江戸幕府の重視するところとなり、幕末までの間、旅篭や木賃宿、馬借などが並ぶ宿場町として大いに栄え、大工や左官の町、酒造りの町としても知られたところです。
また小浜には大阪から伊丹を通り、有馬に至る湯治の道としての有馬街道や、西宮から伊孑志の渡しで武庫川を渡り、酒や米を運んだ西宮街道、京都・伏見から山崎を通り、瀬川半町(はんじう)や加茂を経て入ってくる京伏見街道などの道筋が入っていました。このため、江戸幕府から交通の要衝として重視され、抜け荷の禁止や駄賃を定めた制札(幕府の御定書)なども残っています』(小浜資料館資料より抜粋)

コース:ぷらざこむ→和田邸前→国府橋→大堀川→首地蔵→南門跡→毫摂寺→資料館前→法仙寺→皇大神社(解散)


国府橋からいわし坂を下る

大堀川の桜と雪柳

首地蔵(首からうえの病気に霊験あらたか?)

南門跡 西宮街道につながる

寺内町の中核 毫摂寺(ごうしょうじ)

江戸時代初期から残る、清酒「菊仁」の造酒屋

制札

法仙寺

小浜の産土神 皇大神社にて
撮影・編集:平山
武庫ネイチャークラブ

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